幕末 1853年〜1868年
新聞の誕生
明治初期の日刊新聞は『横浜毎日新聞』(1870年)が最初で、新聞紙条例(1875年)で政府批判は弾圧された。

シナリオ
最近はいろんな新聞が出るようになったなぁ。——明治の新聞読者として。
あなたの判断は?
重要事実
- 日本最初の日刊新聞は1870年創刊の『横浜毎日新聞』とされ、文明開化の普及に大きく貢献した。
- 明治政府は1875年に新聞紙条例・讒謗律を制定し、政府批判の論調を持つ新聞・雑誌を弾圧・検閲した。
- 日露戦争(1904〜05年)の時期に平民社の幸徳秋水・堺利彦らは『平民新聞』を発行し、非戦論・社会主義を主張した。
覚えておくこと
明治初期の日刊新聞は『横浜毎日新聞』(1870年)が最初で、新聞紙条例(1875年)で政府批判は弾圧された。
新聞の誕生幕末
幕末時代とは
ペリー来航(1853年)から明治維新までの激動の15年間。200年以上続いた鎖国体制が崩壊し、日米和親条約・日米修好通商条約で不平等な開国を余儀なくされた。幕府の権威は失墜し、尊王攘夷運動が激化。薩摩・長州を中心とする雄藩が台頭し、薩英戦争や下関戦争を経て攘夷の不可能を悟った両藩は開国・倒幕へと方針を転換した。坂本龍馬の仲介で薩長同盟が成立し、大政奉還(1867年)と王政復古の大号令を経て、戊辰戦争で旧幕府勢力を破り、明治新政府が樹立された。封建制から近代国家への大転換が、わずか15年の間に達成された。
この因果をゲームで動かしてみる
クイズで触れた人物や出来事が、『日本史因果クロニクル』ではカードとして登場します。史実の因果でコンボを組むデッキ構築ローグライク、体験版をブラウザで遊べます。
新聞の誕生とは — くわしい解説
活字メディアの近代化は、一八七〇年十二月に横浜で創刊された『横浜毎日新聞』に始まります。日本最初の日本語日刊紙で、鉛活字印刷と西洋式の紙面構成を採用し、海外電報や商業情報を迅速に伝えました。東京でも『東京日日新聞』『郵便報知新聞』などが続き、自由民権運動の昂揚期には政論新聞と小新聞が読者層を分け合う活況を呈します。政府は一八七五年に新聞紙条例と讒謗律を制定して政府批判を罰則化し、記者の入獄が相次ぎました。日露戦争期には幸徳秋水・堺利彦らの平民社が『平民新聞』を発行して社会主義の立場から非戦論を貫きます。統制と言論の攻防そのものが、新聞を単なる情報媒体から政治的公共圏へ成長させ、後の大正デモクラシーを支える世論形成装置の原型を鍛え上げる舞台となったのです。