室町 1336年〜1573年
自治都市
堺・博多の自治都市は会合衆が運営し、信長・秀吉の統一政策でその自治が解体された。

シナリオ
堺に来た宣教師として——。「この街の様子はどうだ?」
あなたの判断は?
重要事実
- 堺・博多などの自治都市は会合衆(会合)や年行司と呼ばれる有力商人による自治組織が市政を運営した。
- 堺は鉄砲・南蛮貿易の拠点として繁栄し、ヴェネツィアに例えられるほどの高い自治能力を持った。
- これらの自治都市は戦国時代に織田信長・豊臣秀吉の中央集権化によって次第に自治権を失っていった。
覚えておくこと
堺・博多の自治都市は会合衆が運営し、信長・秀吉の統一政策でその自治が解体された。
自治都市室町
室町時代とは
足利尊氏が京都に幕府を開いた時代。建武の新政の失敗後、南北朝の対立が約60年続き、3代将軍足利義満が統一を果たした。義満は明との勘合貿易を開始し、北山文化が栄えた。しかし将軍の権威は次第に低下し、8代義政の時代に応仁の乱(1467年)が勃発。京都は焼け野原となり、守護大名の対立は地方へ波及した。ここから下剋上の風潮が広がり、実力で上位を倒す戦国時代の幕が開いた。室町幕府は名目上は1573年まで存続したが、後半は統治能力を失い、各地の戦国大名が独自に領国を経営する時代に移行していった。
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自治都市とは — くわしい解説
遠隔地交易の結節点として栄えた堺や博多では、商人たち自身が市政を担う自治が育ちました。堺では三十六人の会合衆と呼ばれる豪商が合議で町政を運営し、周囲に堀を巡らせて傭兵を雇い、大名の横暴を拒みます。博多では年行司と呼ばれる長老たちが同様の役割を果たしました。宣教師ガスパル・ヴィレラが堺を「ベニスのごとし」と書き送ったのも誇張ではなく、鉄砲や南蛮貿易の利潤を背景に、京の公家や武将さえ一目を置く経済力を誇ったのです。しかし、天下統一を進める織田信長は堺に矢銭二万貫を課して武装解除を迫り、豊臣秀吉も博多の町割を行って統制下に置きました。中世末の自治都市が近世の城下町経済へと再編されていく過程は、分権的世界から統一権力へと社会が組み替えられる重大な転機でした。