戦国時代
戦国 1467年頃〜1590年

桶狭間の戦い

桶狭間の戦い(1560年)は信長が奇襲で今川義元を討ち取り、天下統一への道を切り開いた転換点である。

シナリオ

1560年、桶狭間——! 織田方の足軽として、状況を報告せよ!

あなたの判断は?

桶狭間の戦い戦国

桶狭間の戦いとは — くわしい解説

駿河・遠江・三河を束ねる今川義元は、上洛を視野に二万余の大軍を率いて尾張へ侵攻しました。一方、若き織田信長は義元本陣が桶狭間の狭隘地で休息しているとの情報を得ると、清洲を出て小勢で本陣に突入し、義元自身を討ち取るという戦果をあげます。一五六〇年のこの奇襲は信長のデビュー戦として語り継がれ、駿河・遠江はその後、甲相駿三国同盟の崩壊とともに武田・徳川の草刈り場となりました。今川義元の突然の横死は、人質同然の境遇にあった松平元康(後の徳川家康)の独立と清須同盟の締結を促し、東海の勢力地図を一変させます。義元の子氏真は蹴鞠と連歌を愛する一方で戦国の実戦に適応できず、今川家の急速な没落を招いた点も象徴的です。桶狭間は単なる局地戦ではなく、天下統一への長い道のりの出発点として位置づけられるのです。

戦国時代とは

応仁の乱以降、全国の大名が覇権を争った群雄割拠の時代。戦国大名は独自の分国法を制定し、領国経営を行った。1543年の鉄砲伝来は戦術を根本から変え、1549年のキリスト教伝来は文化的衝撃をもたらした。この混乱を収束に向かわせたのが織田信長である。信長は楽市楽座で経済基盤を強化し、長篠の戦いで鉄砲の集団運用を実証し、比叡山焼き討ちや石山本願寺との戦いで宗教勢力の軍事力を削いだ。本能寺の変(1582年)で信長が倒れた後、豊臣秀吉が天下統一を完成。太閤検地と刀狩りで兵農分離を推進し、身分制度の基礎を築いた。

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