戦国時代
戦国 1467年頃〜1590年

清洲同盟

桶狭間後の家康は、清洲同盟で信長と結び、約20年の安定を得た。

シナリオ

桶狭間の衝撃が三河に届いた——。今川義元が討たれた今、松平元康(後の家康)として、次の一手を決めねばならない。

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清洲同盟戦国

清洲同盟とは — くわしい解説

桶狭間の戦いで今川義元が討たれた直後、岡崎に戻った松平元康は今川氏真の実力に見切りをつけ、三河統一と織田との同盟という独立の道を選びました。一五六二年、信長との間で結ばれた清須同盟は、互いの領国を侵さず背後を安んじる相互保証の条約で、以後およそ二十年にわたり揺るがず維持されます。家康は三河・遠江の経営と対武田戦に、信長は畿内制圧と反信長勢力の掃討に集中でき、双方の勢力拡大を同時に支えました。家康は信長の家臣ではなく対等な同盟者として振る舞い、長篠・設楽原では前線に立ち、武田滅亡後には駿河を拝領します。信長の長男信忠と家康の娘徳姫の縁組のように、婚姻を絡めた同盟強化の仕掛けも組み込まれていました。本能寺の変まで続いたこの同盟は、戦国期に稀な長期の互恵関係として、東海の勢力地図と天下統一の進行を根底で支えました。

戦国時代とは

応仁の乱以降、全国の大名が覇権を争った群雄割拠の時代。戦国大名は独自の分国法を制定し、領国経営を行った。1543年の鉄砲伝来は戦術を根本から変え、1549年のキリスト教伝来は文化的衝撃をもたらした。この混乱を収束に向かわせたのが織田信長である。信長は楽市楽座で経済基盤を強化し、長篠の戦いで鉄砲の集団運用を実証し、比叡山焼き討ちや石山本願寺との戦いで宗教勢力の軍事力を削いだ。本能寺の変(1582年)で信長が倒れた後、豊臣秀吉が天下統一を完成。太閤検地と刀狩りで兵農分離を推進し、身分制度の基礎を築いた。

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