元禄文化と化政文化の違い|上方と江戸、担い手と代表人物を比較表で

元禄文化は5代綱吉のころ上方の町人が担った文化、化政文化は11代家斉のころ江戸を中心に庶民へ広がった文化です。西鶴・芭蕉・近松と一九・馬琴・北斎などの比較表、覚え方、一問一答に加え、歌麿の扱いなど辞典で説明が分かれる点も出典つきで示します。

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元禄文化と化政文化の違い——「上方の元禄」と「江戸の化政」

元禄文化は、5代将軍徳川綱吉のころ、元禄年間(1688〜1704年)を中心に、京都・大坂の上方で栄えた町人文化です。化政文化は、11代将軍徳川家斉のころ、文化・文政年間(1804〜30年)を中心に、江戸で栄えた町人文化です。元禄文化では井原西鶴・松尾芭蕉・近松門左衛門が文芸を、尾形光琳が装飾画を代表し、化政文化では十返舎一九・曲亭馬琴らの読み物と、葛飾北斎・歌川広重らの浮世絵が広く楽しまれました。

まず全体を一枚の表で比べ、そのあとで時期の幅、背景、分野ごとの人物と作品を順に確かめます。

比べる点元禄文化化政文化
時期元禄年間(1688〜1704年)前後、17世紀末〜18世紀初め文化・文政年間(1804〜30年)前後、19世紀前半
将軍5代徳川綱吉(在職1680〜1709年)11代徳川家斉(在職1787〜1837年、その後も大御所)
中心地上方(京都・大坂)江戸
担い手と受け手経済力をつけた上方の町人。武家風もまだ強く残る江戸の町人を中心に、受け手の層が庶民へ広がる
文学浮世草子(井原西鶴)、俳諧(松尾芭蕉)滑稽本(十返舎一九・式亭三馬)、読本(曲亭馬琴)、俳諧(小林一茶)、川柳・狂歌
演劇人形浄瑠璃(近松門左衛門・竹本義太夫)、歌舞伎(坂田藤十郎・市川団十郎)歌舞伎が中心に(鶴屋南北『東海道四谷怪談』)
絵画装飾画(尾形光琳)、浮世絵の始まり(菱川師宣)多色摺の錦絵が発達、風景画(葛飾北斎・歌川広重)
工芸京焼(野々村仁清・尾形乾山)、友禅染装身具などの精巧な技法
学問朱子学(湯島聖堂)、古学(伊藤仁斎・荻生徂徠)、和算(関孝和)国学(本居宣長・平田篤胤)、蘭学・洋学、伊能忠敬の測量

表の語句は、主にコトバンクに収録された辞典の「元禄文化」「化政文化」「文化文政時代」の項目で、それぞれの文化の人物・特色として挙げられているものです。伊能忠敬のように、個別の項目で年代を確かめて加えたものもあります。化政文化の学問には、日本大百科全書が18世紀後半まで含めた広い意味で挙げているものを含みます。

時期と呼び方——どこからどこまでか

「元禄」も「化政」も年号から来た呼び名ですが、文化の範囲は年号よりも広くとる説明が多く、辞典によって幅があります。

  • 元禄文化:日本大百科全書は「元禄(1688〜1704)前後の上方中心の町人文化」とし、広い意味では17世紀後半から18世紀前半の長い時代の文化を含むとしています。百科事典マイペディアは元禄年間を中心とする文化とし、綱吉の治世(1680〜1709年)を元禄時代と呼ぶことも多いと注記しています。ブリタニカ国際大百科事典は、綱吉の治世に上方を中心に展開した町人文化としています。
  • 化政文化:デジタル大辞泉は「江戸後期の文化・文政のころ、江戸を中心に栄えた町人文化」、山川 日本史小辞典は文化・文政期(1804〜30)の前後に江戸町人を中心に開花した文化活動の総称としています。一方、日本大百科全書は、広い意味では18世紀後半から19世紀前半の長い時代の文化を指すとしています。

「化政」は、年号の文化(1804〜18年)と文政(1818〜30年)の頭文字です。改訂新版 世界大百科事典は、家斉のもとの文化・文政年間を中心とする時代を「文化文政時代」とし、略して化政期ともいうとしています。

背景——綱吉の上方、家斉の江戸

元禄文化:経済力をつけた上方の町人

旺文社日本史事典は、元禄文化の背景として、幕藩体制の安定、産業・交通の発展、都市の発達、生活の向上を挙げています。百科事典マイペディアは、町人の経済的な実力を背景に開花し、商業の中心地である大坂で最も発達したとしています。ただし旺文社日本史事典は、担い手は上方の新興町人だが、文化全般にはまだ武家風がかなり強く残っていたとも書いています。

政治の面では、徳川綱吉(1646〜1709年)が1680年に5代将軍となり、1709年に亡くなるまで在職しました。山川 日本史小辞典によると、綱吉は前半に大老堀田正俊の補佐で文治政治を進め、1690年(元禄3年)に江戸の忍岡にあった聖堂を湯島に移し、翌年には林信篤を大学頭に任じて朱子学を官学としました。

化政文化:江戸の町人と、文化の大衆化

徳川家斉(1773〜1841年)は1787年に11代将軍となり(将軍職を継いだ年を1786年とする辞典もあります)、1837年に将軍職を子の家慶に譲ったあとも大御所として実権を握りました(山川 日本史小辞典)。改訂新版 世界大百科事典は、文化期にはまだ松平定信が信任した老中が政治をとり、寛政の改革の引き締めが残っていたとしています。寛政の改革の政策は、人返し令と旧里帰農令の違いで扱っています。

旺文社日本史事典は、化政文化を、田沼時代の商業政策と江戸の札差の好みを原型としながら、寛政の改革の倹約令・風俗取締り・出版統制などの制約も受けた文化と説明しています。改訂新版 世界大百科事典は、この時期の文人・画家・俳優の大半が江戸に住み、江戸生まれの住民のあいだに「江戸っ子」という意識が芽生えたことを重視しています。都市で完成した歌舞伎が地方の村芝居に広がるなど、文化が地方にも届いたことも特色として挙げています。

  1. 1680
    徳川綱吉が5代将軍に
  2. 1682
    井原西鶴『好色一代男』
    浮世草子の始まり
  3. 1684
    渋川春海の貞享暦の採用が決まる
    翌年から施行
  4. 1688
    元禄に改元。西鶴『日本永代蔵』
  5. 1689
    松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出る
    刊行は芭蕉の死後の1702年
  6. 1690
    聖堂を湯島に移す
    翌年、林信篤を大学頭に
  7. 1703
    近松門左衛門『曽根崎心中』初演
    近松の世話物の第1作
  8. 1765
    鈴木春信らによる錦絵の誕生
    多色摺の浮世絵版画
  9. 1774
    『解体新書』刊行
    杉田玄白・前野良沢ら
  10. 1787
    徳川家斉が11代将軍に
    同年、松平定信が老中首座となり寛政の改革を始める
  11. 1794
    東洲斎写楽の役者絵が出る
    活動は約10か月
  12. 1798
    本居宣長『古事記伝』完成
    刊行の完了は1822年
  13. 1802
    十返舎一九『東海道中膝栗毛』初編
    続編は1822年まで
  14. 1804
    文化に改元
    1818年に文政へ
  15. 1814
    曲亭馬琴『南総里見八犬伝』刊行開始
    1842年に完結
  16. 1825
    鶴屋南北『東海道四谷怪談』初演
  17. 1831
    このころ葛飾北斎『富嶽三十六景』
    1830年ごろからとする辞典もある
  18. 1833
    このころ歌川広重『東海道五十三次』
    保永堂版。1834年ごろ完結
  19. 1837
    家斉が将軍職を家慶に譲る
    以後も大御所として実権
元禄文化から化政文化への主な出来事(コトバンク収録の辞典より整理)

対になる組み合わせで比べる

二つの文化は、分野ごとに「対」で覚えると整理しやすくなります。

元禄文化
化政文化
中心地
元禄文化上方(京都・大坂)
化政文化江戸
小説
元禄文化浮世草子(井原西鶴『日本永代蔵』)
化政文化滑稽本(十返舎一九『東海道中膝栗毛』)、読本(曲亭馬琴『南総里見八犬伝』)
俳諧
元禄文化松尾芭蕉(蕉風、『おくのほそ道』)
化政文化小林一茶(『おらが春』)
芝居
元禄文化人形浄瑠璃(近松門左衛門『曽根崎心中』)
化政文化歌舞伎(鶴屋南北『東海道四谷怪談』)
絵画
元禄文化尾形光琳の装飾画、菱川師宣の初期の浮世絵
化政文化錦絵の風景画(葛飾北斎『富嶽三十六景』、歌川広重『東海道五十三次』)
学問
元禄文化朱子学の官学化、古学、和算
化政文化国学、蘭学・洋学、伊能忠敬の測量
元禄文化と化政文化の対応(コトバンク収録の辞典より整理)

分野別に見る——代表人物と作品

文学:浮世草子・俳諧から、滑稽本・読本へ

元禄文化の文学を代表するのは、井原西鶴・松尾芭蕉・近松門左衛門の3人です。

  • 井原西鶴(1642〜1693年)は大坂の人で、談林派の俳諧で活躍したのち、1682年(天和2年)の『好色一代男』で浮世草子の作者になりました(山川 日本史小辞典)。日本大百科全書によると、『日本永代蔵』は1688年、『世間胸算用』は1692年の刊行です。旺文社日本史事典は、西鶴の作品を町人による最初の町人文学としています。
  • 松尾芭蕉(1644〜1694年)は伊賀上野の出身で、談林風に飽きたらず、蕉風と呼ばれる新しい俳諧を確立しました(精選版 日本国語大辞典)。1689年(元禄2年)に江戸深川を出発して大垣に至る旅をもとにした『おくのほそ道』は、芭蕉の死後の1702年に刊行されました(精選版 日本国語大辞典、旺文社日本史事典)。

化政文化の文学では、洒落本や黄表紙が、合巻・滑稽本・人情本に変わっていきました(旺文社日本史事典)。読み物の中心は、笑いを誘う滑稽本と、長編の伝奇小説である読本です。

作者生没年代表作と年ジャンル
十返舎一九1765〜1831年『東海道中膝栗毛』(1802〜09年、続編は1822年まで)滑稽本
式亭三馬1776〜1822年『浮世風呂』(1809〜13年)滑稽本
曲亭馬琴1767〜1848年『南総里見八犬伝』(1814〜42年)読本
小林一茶1763〜1827年『おらが春』(1819年の句文。刊行は1852年)俳諧

年はコトバンク収録の各辞典によります。改訂新版 世界大百科事典によると、一九は『膝栗毛』以後、ほぼ原稿料で生計を支えました。馬琴の『八犬伝』は28年がかりの大作で(日本大百科全書)、晩年に失明した馬琴は、息子の妻お路に口述筆記をさせて完結させました(改訂新版 世界大百科事典)。一茶の没年は、和暦の文政10年11月を西暦に直して1828年とする辞典もあります。『おらが春』の成立も、山川 日本史小辞典は1820年(文政3年)ごろの成稿と推定しています。

演劇:人形浄瑠璃から歌舞伎へ

近松門左衛門(1653〜1724年)は、元禄期の人形浄瑠璃と歌舞伎の作者です。山川 日本史小辞典によると、1693年(元禄6年)から約10年間は上方の歌舞伎役者坂田藤十郎のために脚本を書きました。浄瑠璃では竹本義太夫と組み、1703年(元禄16年)に大坂の竹本座で初演された『曽根崎心中』は、実際に起きた心中事件をすぐに脚色した作品で、近松の最初の世話物(世話浄瑠璃)です(デジタル大辞泉、日本大百科全書)。1715年の『国性爺合戦』、1720年の『心中天網島』も代表作です。没年は、享保9年11月の没日を西暦に直して1725年とする辞典もあります。

ブリタニカ国際大百科事典は、元禄文化の時期に人形浄瑠璃が竹本義太夫の義太夫節として完成し、市川団十郎・坂田藤十郎らの歌舞伎が盛んになったとしています。化政文化の時期には、旺文社日本史事典が、演劇の中心が人形浄瑠璃から歌舞伎へ移ったとしています。その代表が4世鶴屋南北(1755〜1829年)で、当時の市井の風俗を生々しく描く「生世話(きぜわ)」を追求し、1825年(文政8年)に『東海道四谷怪談』を江戸の中村座で初演しました(改訂新版 世界大百科事典)。

絵画:光琳と師宣から、錦絵の北斎・広重へ

元禄文化の絵画を代表するのが尾形光琳(1658〜1716年)です。京都の呉服商雁金屋の次男で、俵屋宗達に私淑して装飾画を大成し、その画風は琳派と呼ばれます(旺文社日本史事典)。代表作の国宝『燕子花図屏風』は根津美術館、国宝『紅白梅図屏風』はMOA美術館の所蔵で、どちらも江戸時代・18世紀の作品とされます(両館の公式サイト)。『紅白梅図屏風』の制作時期は、ブリタニカ国際大百科事典が1701年ごろ、日本大百科全書と改訂新版 世界大百科事典が晩年としており、説明が分かれます。弟の尾形乾山と野々村仁清の京焼、友禅染の元禄模様も、この時期の工芸として挙げられます(旺文社日本史事典)。

菱川師宣(?〜1694年)は安房の出身で、江戸で挿絵や絵本を多く描きました。代表作の『見返り美人図』は、東京国立博物館が所蔵する絹本着色の肉筆画です(東京国立博物館の公式サイト)。版画は墨一色の墨摺が中心でした。師宣を浮世絵の祖・開祖とする辞典は多く、日本大百科全書も、浮世絵の始祖かどうかの議論はまだ決着をみないとしつつ、少なくとも浮世絵版画の祖だとしています。

浮世絵が大きく変わったのは、1765年(明和2年)ごろ、鈴木春信らによって多色摺の錦絵が生まれてからです(山川 日本史小辞典ほか)。その後、寛政期(1789〜1801年)に喜多川歌麿が美人大首絵で、1794〜95年に東洲斎写楽が役者大首絵で活躍しました。化政文化の浮世絵では、風景画が人気を集めます。

  • 葛飾北斎(1760〜1849年):『富嶽三十六景』は、山川 日本史小辞典が1831年(天保2年)ごろ、ブリタニカ国際大百科事典が1830年ごろからの制作・出版としています。表題の36図に、富士を裏側から描く10図を加えた全46図です(山川 日本史小辞典)。
  • 歌川広重(1797〜1858年):保永堂版の『東海道五十三次』は全55枚で、1833年(天保4年)ごろから出され、1834年ごろに完結しました(山川 日本史小辞典、百科事典マイペディアほか)。

二人の代表作は、年号でいえば文化・文政ではなく天保期のものです。山川 日本史小辞典は化政文化を文化・文政期の前後に開花した文化とし、北斎と広重をその代表に挙げています。

学問:朱子学と古学から、国学と蘭学へ

元禄文化の時期には、儒学がさかんになりました。綱吉が湯島に聖堂を移して朱子学を官学としたのに対し、朱子学などの解釈を批判して『論語』『孟子』などを直接研究しようとする古学が起こり、山鹿素行・伊藤仁斎・荻生徂徠が代表とされます(デジタル大辞泉)。日本大百科全書の「元禄文化」は、このほか次のような成果を挙げています。

  • 和算:関孝和(1640年ごろ〜1708年)の『発微算法』(1674年刊、山川 日本史小辞典)
  • 暦学:渋川春海が編んだ貞享暦(1684年に採用が決まり、翌年から施行。日本大百科全書)
  • 国学の先駆:契沖の『万葉代匠記』(精撰本は1690年。改訂新版 世界大百科事典)
  • 本草学・農学:貝原益軒の『大和本草』、宮崎安貞の『農業全書』

化政文化の時期の学問として目立つのは、国学と蘭学です。本居宣長(1730〜1801年)は1798年(寛政10年)に『古事記伝』を書き終え、その刊行は1822年に完了しました(山川 日本史小辞典)。宣長の没後の門人を名のった平田篤胤(1776〜1843年)の学問は、幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を与えました(山川 日本史小辞典)。蘭学では、杉田玄白が1815年に『蘭学事始』をまとめ、『解体新書』翻訳の苦心を回想しています。伊能忠敬は1800年に蝦夷地の測量を始め、全国の測量をもとに、忠敬の死後の1821年に『大日本沿海輿地全図』が完成しました(日本大百科全書、デジタル大辞泉)。

その少し前の1790年(寛政2年)、幕府は寛政の改革の一環として寛政異学の禁を出し、聖堂の学問所で朱子学以外の講義を禁じました(山川 日本史小辞典)。

辞典で説明が分かれる点

暗記した言葉と問題文が合わないときに慌てないよう、説明の違いを並べておきます。

論点説明の違い
元禄文化の範囲日本大百科全書は元禄(1688〜1704)前後、広い意味では17世紀後半〜18世紀前半。ブリタニカ国際大百科事典は綱吉の治世(1680〜1709年)。世界大百科事典(旧版)は17世紀末〜18世紀初期
化政文化の範囲デジタル大辞泉・山川 日本史小辞典などは文化・文政期(1804〜30)を中心とする。日本大百科全書は、広い意味では18世紀後半〜19世紀前半
歌麿・写楽日本大百科全書は化政文化の項目で歌麿の美人画と写楽の役者大首絵を取り上げる。二人の活躍は寛政期で、文化・文政期に限る説明では化政文化より前になる
北斎・広重の代表作山川 日本史小辞典は北斎・広重を化政文化の人物に挙げるが、『富嶽三十六景』『東海道五十三次』は天保期(1830年代)の作品
化政文化の評価旺文社日本史事典は「技巧的・退廃的」とする。改訂新版 世界大百科事典は、以前は退廃性が強調されたが、近年は都市的・大衆的な文化が地方も巻き込んで広がった点を積極的に評価するとする
菱川師宣は浮世絵の祖か多くの辞典は祖・開祖とする。日本大百科全書は、浮世絵の始祖かどうかの議論は決着をみないが、少なくとも浮世絵版画の祖だとする
『紅白梅図屏風』の制作時期ブリタニカ国際大百科事典は1701年ごろ。日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典は光琳の晩年
家斉の将軍就任年1787年とする辞典と、1786年に将軍職を継いだとする辞典がある

試験対策としては、元禄文化は「綱吉・上方・西鶴、芭蕉、近松」、化政文化は「家斉・江戸・一九、馬琴、北斎、広重」を軸にし、範囲の違う説明が出てきたら、呼び方の幅の違いだと判断できれば十分です。

混同しやすい点

  • 十返舎一九は元禄ではない:『東海道中膝栗毛』は1802年からの作品で、化政文化です。元禄文化の西鶴・芭蕉・近松と入れ替えた選択肢に注意します。
  • 浮世草子と滑稽本・読本:浮世草子は元禄の西鶴、滑稽本は化政の一九・三馬、読本は化政の馬琴です。
  • 芭蕉と一茶:どちらも俳諧ですが、芭蕉は元禄、一茶は化政です。
  • 師宣の浮世絵は錦絵ではない:多色摺の錦絵が生まれたのは1765年ごろで、師宣の死後70年ほどたってからです。
  • 歌麿・写楽は「化政」とは限らない:二人の活躍は寛政期です。化政文化を広くとるかどうかで扱いが変わります。
  • 北斎・広重の代表作は天保期:化政文化の人物として覚えてかまいませんが、作品の年を問われたら1830年代です。
  • 元禄文化も化政文化も町人文化:違いは「上方か江戸か」と「受け手の広がり」です。

覚え方

「元禄は上方(かみがた)、化政は江戸」を軸にして、あとは対になる組み合わせを並べるのが覚えやすい方法です。

  • 時代:17世紀末〜18世紀初めの綱吉(5代)→ 19世紀前半の家斉(11代)
  • 小説:西鶴の浮世草子(大坂の町人の暮らし)→ 一九・三馬の滑稽本、馬琴の読本(江戸の庶民が読む)
  • 俳諧:芭蕉(蕉風)→ 一茶
  • 芝居:近松の人形浄瑠璃 → 南北の歌舞伎
  • 絵:光琳の屏風、師宣の墨摺 → 錦絵の風景画(北斎・広重)
  • 学問:朱子学・古学(儒学)→ 国学・蘭学

「膝栗毛」は、膝を栗毛の馬の代わりにして旅をすること、つまり徒歩の旅のことです(デジタル大辞泉)。旅の滑稽本と、旅の風景画(北斎・広重)がそろって化政文化に出てくると覚えると、つながりが見えます。

一問一答

  1. 『好色一代男』『日本永代蔵』を書いた浮世草子の作者は誰か。 答え:井原西鶴
  2. 蕉風の俳諧を確立し、『おくのほそ道』を著したのは誰か。 答え:松尾芭蕉
  3. 1703年に初演された近松門左衛門の世話物の人形浄瑠璃は何か。 答え:曽根崎心中
  4. 根津美術館所蔵の国宝『燕子花図屏風』を描いた元禄期の画家は誰か。 答え:尾形光琳
  5. 『見返り美人図』で知られ、浮世絵の祖とされることが多い絵師は誰か。 答え:菱川師宣
  6. 1690年に湯島に聖堂を移し、朱子学を官学とした将軍は誰か。 答え:徳川綱吉
  7. 江戸の弥次郎兵衛と喜多八の旅を描いた十返舎一九の滑稽本は何か。 答え:東海道中膝栗毛
  8. 1814年から1842年にかけて刊行された曲亭馬琴の読本は何か。 答え:南総里見八犬伝
  9. 富士山をさまざまな場所から描いた葛飾北斎の浮世絵の連作は何か。 答え:富嶽三十六景
  10. 1798年に『古事記伝』を書き終えた国学者は誰か。 答え:本居宣長

確認問題

第1問

次のうち、元禄文化に当てはまらないものはどれでしょうか。

  • ア:『曽根崎心中』
  • イ:『浮世風呂』
  • ウ:『紅白梅図屏風』
  • エ:『日本永代蔵』

答え:イの『浮世風呂』です。 式亭三馬が1809年から書いた滑稽本で、化政文化にあたります。アは近松門左衛門の人形浄瑠璃(1703年)、ウは尾形光琳の屏風、エは井原西鶴の浮世草子(1688年)です。

第2問

次の文は正しいですか、誤っていますか。 「化政文化は、京都・大坂の上方を中心に栄えた町人文化である。」

答え:誤りです。 上方を中心としたのは元禄文化です。化政文化は江戸を中心に栄えました。ブリタニカ国際大百科事典も、同じ町人文化でも元禄文化が上方中心だったのと対比されるとしています。

第3問

次の文は正しいですか、誤っていますか。 「菱川師宣は、多色摺の錦絵を用いて美人画を描いた。」

答え:誤りです。 錦絵が生まれたのは1765年ごろで、鈴木春信らによるものです。師宣は1694年に亡くなっており、版画は墨摺が中心でした。

第4問

1790年、聖堂の学問所で朱子学以外の講義を禁じた政策は何でしょうか。また、それを進めた老中は誰でしょうか。

答え:寛政異学の禁で、老中は松平定信です。 寛政の改革の政策の一つで、文化・文政期より前の出来事です。元禄期に綱吉が湯島に聖堂を移し、朱子学を官学としたことと結びつけて覚えます。

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まとめ

  • 元禄文化は、5代将軍綱吉のころ、元禄年間(1688〜1704年)を中心に上方で栄えた町人文化。西鶴の浮世草子、芭蕉の俳諧、近松の人形浄瑠璃、光琳の装飾画、師宣の浮世絵、朱子学と古学が特色。
  • 化政文化は、11代将軍家斉のころ、文化・文政年間(1804〜30年)を中心に江戸で栄えた町人文化。一九・三馬の滑稽本、馬琴の読本、一茶の俳諧、歌舞伎、北斎・広重の錦絵の風景画、国学・蘭学が特色。
  • 化政文化は、元禄文化に比べて受け手の層が広がった一方、享楽的な傾向が強まったと説明される。
  • 二つの文化の範囲は辞典によって幅がある。化政文化を広くとるかどうかで、歌麿・写楽などの扱いが変わる。
  • 北斎『富嶽三十六景』と広重『東海道五十三次』は、年号では天保期の作品。

「上方の元禄、江戸の化政」の対比を土台に、西鶴と一九、芭蕉と一茶、近松と南北、光琳・師宣と北斎・広重の組み合わせを重ねて覚えるのがおすすめです。

参考資料

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よくある質問

5件
元禄文化と化政文化の違いは何ですか?
元禄文化は、5代将軍徳川綱吉のころ(元禄年間は1688〜1704年)を中心に、京都・大坂の上方で栄えた町人文化です。井原西鶴の浮世草子、松尾芭蕉の俳諧、近松門左衛門の人形浄瑠璃、尾形光琳の装飾画が代表です。化政文化は、11代将軍徳川家斉のころの文化・文政年間(1804〜30年)を中心に、江戸で栄えた町人文化です。十返舎一九や式亭三馬の滑稽本、曲亭馬琴の読本、葛飾北斎や歌川広重の浮世絵が代表です。山川 日本史小辞典は、化政文化は元禄文化に比べて受け手の層が広がった一方、享楽的な傾向が強まったとしています。
元禄文化と化政文化はいつからいつまでですか?
辞典によって幅があります。元禄文化は、元禄年間(1688〜1704年)前後とする説明が基本で、日本大百科全書は広い意味では17世紀後半から18世紀前半を含むとし、ブリタニカ国際大百科事典は綱吉の治世(1680〜1709年)の文化としています。化政文化は、文化・文政年間(1804〜30年)を中心とする説明が多く、日本大百科全書は広い意味では18世紀後半から19世紀前半の文化を指すとしています。試験では「元禄=17世紀末〜18世紀初め」「化政=19世紀前半」と押さえるのが基本です。
喜多川歌麿や東洲斎写楽は化政文化ですか?
扱いが分かれます。歌麿が美人大首絵で独自の様式を確立したのは寛政期(1789〜1801年)、写楽の作品が出たのは1794年5月から翌年1月ごろまでの約10か月で、どちらも文化・文政年間より前です。日本大百科全書は化政文化を広い意味でとらえ、歌麿の美人画や写楽の役者大首絵も化政文化の項目で取り上げています。文化・文政期に限る説明に従えば、二人は化政文化の少し前、寛政期の絵師です。手元の教科書の区分を確かめてください。
元禄文化と化政文化の代表人物は誰ですか?
元禄文化は、浮世草子の井原西鶴、俳諧の松尾芭蕉、人形浄瑠璃の近松門左衛門、装飾画の尾形光琳、浮世絵の菱川師宣が代表です。化政文化は、滑稽本の十返舎一九(『東海道中膝栗毛』)と式亭三馬(『浮世風呂』)、読本の曲亭馬琴(『南総里見八犬伝』)、俳諧の小林一茶、浮世絵の葛飾北斎(『富嶽三十六景』)と歌川広重(『東海道五十三次』)が代表です。北斎と広重の代表作は、年号でいえば天保期(1830年代)の作品です。
化政文化の「化政」とは何ですか?
江戸時代後期の年号「文化」(1804〜18年)と「文政」(1818〜30年)の頭文字をとった言葉です。改訂新版 世界大百科事典は、11代将軍徳川家斉のもとの文化・文政年間を中心とする時代を文化文政時代と呼び、略して化政期ともいうとしています。元禄文化の「元禄」も、5代将軍綱吉の時代の年号(1688〜1704年)です。
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