太平洋戦争で日本の暗号はなぜ解読されたか|パープル・海軍暗号書Dとミッドウェー

外交暗号パープル(九七式欧文印字機)は1940年に米陸軍に解読され、海軍暗号書D(JN-25)の部分解読は1942年のミッドウェー海戦と1943年の山本五十六機撃墜につながりました。米NSAの公開資料と防衛研究所『戦史叢書』・辞典で解読の経緯と日本側の対応を整理し、エニグマとの違いと資料で分かれる点をまとめます。

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太平洋戦争で日本の暗号が解読された経緯は、外務省の機械暗号「パープル」が1940年に米陸軍に解読され(解読情報の総称が「マジック」)、海軍の作戦暗号「海軍暗号書D」(米側呼称JN-25)が1942年3月ごろから部分的に読まれて、6月のミッドウェー海戦と翌1943年4月の山本五十六機撃墜につながった、という2本の流れで整理できます。真珠湾攻撃の直前に日本が送った14部の対米覚書も、米側は手交より先に読んでいました。

ただし「暗号が破られたから負けた」と言い切るのは単純すぎます。開戦時に海軍暗号はほとんど読めておらず、ミッドウェー直前でも解読は傍受電文の4割程度でした。米国家安全保障局(NSA)の公開資料、防衛研究所『戦史叢書』、コトバンク収録の辞典で裏が取れる範囲で因果の流れを追い、最後に2026年9月に話題になった「AIによるエニグマ解読」にも触れます。

日本の暗号には2つの系統があった

外交暗号パープル(九七式欧文印字機)
海軍暗号書D(JN-25)
使った組織
外交暗号パープル(九七式欧文印字機)外務省。1939年2月から主要公館との通信に使用
海軍暗号書D(JN-25)海軍。作戦用の五桁数字暗号(『戦史叢書』では1940年12月使用開始)
仕組み
外交暗号パープル(九七式欧文印字機)電気機械式。文字を6と20に分け、ステッピングスイッチで換字
海軍暗号書D(JN-25)暗号書で語句を5桁の数字に置き換え、乱数表の数字を桁上がりなしで足す
米側の解読
外交暗号パープル(九七式欧文印字機)1940年、陸軍SIS(フリードマンのチーム)が解読。情報は「マジック」
海軍暗号書D(JN-25)1942年3月ごろから海軍が部分的に読む。暗号書・乱数表の更新ごとにやり直し
読まれたもの
外交暗号パープル(九七式欧文印字機)開戦前の外交交渉の内容、14部の対米覚書
海軍暗号書D(JN-25)ミッドウェー作戦の目標と日程、山本五十六の視察日程
日本側の2系統の暗号と米側の解読。NSA暗号史センターの記事と防衛研究所『戦史叢書 第43巻』による

NSAの記事によると、日本の外務省は1935年に導入した「暗号機A型」(九一式印字機、米側呼称RED)に続き、1939年2月に「暗号機B型」(通称・九七式欧文印字機、米側呼称PURPLE)を導入しました。

海軍の暗号は別系統です。防衛研究所『戦史叢書 第43巻 ミッドウェー海戦』(589〜590頁)によれば、「海軍暗号書D」は発受二冊制の数字五字略号で、別冊の乱数表(1頁100語・500頁)の数字を各桁ごとに桁上がりなしで足す二次暗号方式でした。NSAの記事「JN-25」は、約27,500項目の暗号書と300ページの乱数表から成っていたと説明しており、日本大百科全書もミッドウェー当時の「D暗号」を乱数表方式の代表例に挙げています。

年表

  1. 1935
    外務省が暗号機A型(米呼称RED)を導入
    米陸軍SISは1937年2月に最初の翻訳を出す
  2. 1939.2
    外務省が暗号機B型(九七式欧文印字機、米呼称PURPLE)を導入
    ワシントン・ロンドンなど主要公館で使用
  3. 1939〜40
    海軍が海軍暗号書D(米呼称JN-25)を導入
    NSAは1939年6月導入、『戦史叢書』は1940年12月1日使用開始と記録
  4. 1940.9
    米陸軍SISがパープルを解読
    20文字側の規則性を発見。解読情報を「マジック」と呼ぶ
  5. 1941.12.4
    海軍暗号書Dが一般乱数表八号へ更新
    真珠湾攻撃の3日前。米側の解読はやり直しに
  6. 1941.12.6〜7
    14部の対米覚書を米側が先に読む
    手交は攻撃開始後にずれる。真珠湾攻撃
  7. 1942.3
    米海軍がJN-25を読み始める
    NSA年表では3月15日。4月半ばには傍受から6時間以内に翻訳
  8. 1942.5
    「AF」はミッドウェーと確認・暗号更新の遅延
    5月1日予定のD1・乱数表九号への更新が5月27日ごろへ遅れる
  9. 1942.6.5
    ミッドウェー海戦
    日本は空母4隻を失う(日付は日本時間)
  10. 1942.7〜9
    海軍が「呂暗号書」を編纂・配布
    沈没艦からの暗号書漏洩を警戒し6月下旬に着手
  11. 1943.4.18
    山本五十六機の撃墜
    4月13日発信の視察日程電が解読され、ブーゲンビル島上空で待ち伏せ
日本の暗号解読に関するおもな出来事(NSA暗号史センター、Parkerの公刊史、『戦史叢書』、辞典による)

1. 外交暗号パープルの解読(1940年)

パープルの解読は、米陸軍SISのウィリアム・フリードマンの指揮のもと、フランク・ローレットが率いるチーム(ジェネビーブ・グロチャン、アルバート・スモール、サミュエル・スナイダーら)が進めました。NSA国立暗号博物館の展示解説によると、18か月間手がかりをつかめませんでしたが、1940年9月に20文字側の規則性を見つけました。

突破口は、(1)文字を6文字と20文字に分けて別々に換字する構造(既知の語句を当てて鍵を探す「クリブ」が使える)、(2)既に解読されていた旧式のREDと同じ電文を両方式で送った公館があったこと、(3)英語の外交文書をそのまま暗号化していたことの3点でした。SISはステッピングスイッチを使った複製機「パープル・アナログ」を製作し、解読文に「MAGIC(マジック)」の符号を付けて配布先を大統領や陸海軍・国務長官ら10人に限定しました。米本土外の司令官には配られていません。

2. 開戦直前、14部の覚書は先に読まれていた

1941年12月6日(ワシントン時間)、米側は東京が駐米大使に送った14部構成の対米覚書を傍受・解読しました。英語で書かれた第1〜13部は6日夜に海軍が、日本語の第14部は7日未明に陸軍が解読しています。

しかしハワイへの警告は商用電報で送られて間に合わず、日本大使館も浄書の遅れで野村吉三郎大使らの手交が攻撃開始後になりました(ブリタニカ国際大百科事典、日本大百科全書、山川日本史小辞典)。NSAの記事「The Investigations」は、マジックに真珠湾攻撃を予告する軍事情報はなかったと明記しています。「ルーズベルトが事前に知っていた」とする説については、戦中から1946年の両院合同調査委員会まで8回の調査が行われ、日本の辞典では百科事典マイペディアだけが「説もある」と触れるにとどまります。

3. 海軍暗号書Dは、なぜ読むのに時間がかかったか

一方、海軍暗号書Dの解読は遅れました。NSAの記事「JN-25」によれば、1941年8月までに復元できた暗号書の語句は約2,000(全体の約4%)にすぎませんでした。暗号書と乱数表の更新(『戦史叢書 第43巻』589頁によれば、1941年12月4日に「一般乱数表八号」へ変更)のたびに最初からやり直しになったことと、ワシントンの主力がパープルに向いていたことが原因です。開戦時の米海軍は、暗号解読ではなく通信量分析と方位測定で艦隊を追っていました。

転機は1942年春です。Parkerの公刊史『A Priceless Advantage』によれば、1941年12月4日に変えられた乱数の鍵付けの仕組みが2月に判明し、3月15日ごろから電文が読めるようになりました。4月半ばには傍受から6時間以内に翻訳・配布できる体制が整います。

4. ミッドウェー:「AF」の確認と暗号更新の1か月遅延

ミッドウェー海戦(1942年6月5日、日本時間)では、暗号解読が作戦に直結しました(改訂新版世界大百科事典、山川日本史小辞典)。ハワイの解読部門(Station Hypo)のジョゼフ・ロシュフォートと太平洋艦隊情報参謀エドウィン・レイトンは、日本軍の電文にある攻撃目標「AF」をミッドウェーと推定しましたが、ワシントンはサモアやハワイ本島などを疑って対立しました。

そこで5月18〜19日ごろ、ミッドウェー守備隊に海底ケーブルで「水不足を平文の無線で訴えよ」と指示し、5月22日に「AFは水不足」と報じる日本側の電文を傍受してAF=ミッドウェーを確認したと伝えられています(Parkerは発案者をロシュフォートとする通説に直接の証拠はないと注記)。日本側の『戦史叢書 第43巻』(592頁)も、電報自体は現存しないものの、軍令部の佐薙毅部員の日誌に「ミッドウェーは清水が欠乏している」旨の記述があることから、これに関する電報が打たれたことは間違いないと認めています。

さらに5月25日に解読した日付暗号から、米側はミッドウェー攻撃を6月4日(現地時間)と割り出し、ニミッツは空母を待ち伏せに配置しました。ただしニミッツの5月26日の文書は「傍受できたのは可能な電文の約60%、解読できたのはその約40%」と記しています。

日本側にとって致命的だったのは暗号更新の遅れでした。『戦史叢書 第43巻』(590頁)によると、海軍は4月25日の官房機密第773番電で「5月1日から海軍暗号書D1・一般乱数表九号を使用し、暗号書D・乱数表八号を使用停止」と発令していましたが、新暗号書の配布が間に合わず、実際の変更は第一機動部隊が出撃した5月27日ごろにずれ込みました(米側も5月26日を最後に解読不能と記録)。『戦史叢書』は、予定どおり5月1日に変更していればミッドウェー作戦の電報は解読されずに済んだと記しています。

5. 山本五十六機の撃墜(1943年4月)

『戦史叢書 第96巻 南東方面海軍作戦<3>』(127頁)によると、1943年4月13日17時55分、南東方面艦隊と第八艦隊の両司令長官連名で、山本五十六連合艦隊司令長官の4月18日の詳細な前線視察予定が関係部隊宛てに打電されました。乱数表は4月1日に更新されたばかりでしたが、米側はこれを解読し、ニミッツの承認のもと4月18日にガダルカナル島から発進したP-38戦闘機がブーゲンビル島上空で山本機を撃墜しました(山川日本史小辞典)。

6. 日本側はなぜ暗号方式を改めなかったのか

外交暗号については、1941年4月に駐独大使館経由でドイツから「米国が解読している」との警告が伝わり、1944年秋には陸軍参謀本部の釜賀一夫少佐も九七式欧文印字機の危険性を指摘しましたが、外務省は使用を続けました(日英Wikipedia)。

海軍暗号については、防衛研究所『戦史叢書』に当時の判断が具体的に記録されています。

  • ミッドウェー海戦後(『戦史叢書 第43巻』646〜647頁):中央も聯合艦隊も米軍が企図を承知していたと推定しましたが、「あの機密度の高い暗号が解読されることは考えられない」と判断し、出撃前の機密保持の緩みや米潜水艦による偵知を疑いました。ただし沈没艦から暗号書が敵手に渡る恐れを考慮し、6月下旬に「呂暗号書」の編纂に着手、9月までに配布を終えています。
  • 山本長官機撃墜後(『戦史叢書 第96巻』129頁):ラバウル方面部隊と中央は暗号解読を疑い、現地と第一聯合通信隊で合同調査を実施しました。しかし、(1)強度の弱い暗号では発信していなかったこと、(2)乱数表は4月1日に変更したばかりで論理的に解読不可能と考えられたこと、(3)19日の米サンフランシスコ放送が「18日北部ソロモンで陸攻2機・零戦2機を撃墜」と簡単に報じたことから、合同調査は「事故は偶然に起こった可能性大」と結論づけ、暗号書の更新も行いませんでした。

つまり日本海軍は、異変に気づいて調査を行いながらも「乱数表を更新したばかりだから論理的に解読できるはずがない」と判断し、二冊制+乱数表の方式そのものを疑いませんでした。

7. 「暗号が破られたから負けた」ではない

資料から見える要点は次の4つです。

  • 開戦時、海軍暗号はほぼ読めておらず、真珠湾攻撃の予告はマジックにもなかった。
  • ミッドウェー直前でも解読は傍受電文の約4割にとどまり、ワシントンとハワイは「AF」の解釈で対立していた。
  • 解読情報を信じて空母を配置したニミッツの決断、つまり情報部門(Hypo)と司令部の信頼関係が結果を左右した。
  • 日本側が5月1日の予定どおり暗号書D1へ切り替えていれば、ミッドウェー作戦電は読まれなかった。

歴史家の大木毅は『ミッドウェイ海戦』(文春新書)で、日本側に情報を分析する専門人材が欠けていた点を対比しています。暗号が「破られた」こと、相手が「読んだ情報を使えた」こと、自軍が「兆候から方式の限界を見抜けなかった」ことは分けて考える必要があります。

8. エニグマとの違い、そして2026年の話題

エニグマ(ドイツ)
パープル(日本・外務省)
換字の部品
エニグマ(ドイツ)ローター3枚と反転ローター、プラグボード
パープル(日本・外務省)電話交換機用のステッピングスイッチ。6文字側と20文字側に分けて処理
使った組織
エニグマ(ドイツ)陸海空軍など軍の通信
パープル(日本・外務省)外務省の外交通信
解読側の作業
エニグマ(ドイツ)既知の語句(クリブ)を手がかりに、その日の鍵をボンブで探す
パープル(日本・外務省)6と20の分割を見抜き、REDとの重複電文や英語定型文をクリブに規則性を復元
海軍暗号書Dとの違い
エニグマ(ドイツ)機械暗号
パープル(日本・外務省)機械暗号。暗号書Dは五桁数字の暗号書と乱数表による非機械の二次暗号
エニグマとパープルの比較。日本海軍の暗号書Dはどちらとも違い、暗号書と乱数表を使う

2026年9月24日、GIGAZINEは、1941年7月10日発信で未解読だった82文字のエニグマ電文「MVUEH」をOpenAIの「GPT-6 Astra」が解読したと報じました。Crypto Cellar Researchの報告によれば、AIは既解読電文の地名反復「ROSENOW ROSENOW」をクリブに使い、探索プログラムを自作して約2日で鍵を特定しました。構造が既知の機械暗号でクリブから鍵を探す作業を高速化したものですが、海軍暗号書Dのような暗号書+乱数表方式は、多数の電文から乱数を剥がして辞書を復元する別の作業でした。

まとめ

  • 日本の暗号は、外務省の機械暗号パープルと、海軍の五桁略号+乱数表による海軍暗号書D(JN-25)の2系統。
  • パープルは1940年9月に米陸軍SISが解読(「マジック」)。開戦直前の14部覚書も先に読まれたが、軍事情報は含まれなかった。
  • 海軍暗号書Dは1942年3月ごろから部分的に読まれ、「AF=ミッドウェー」の確認と攻撃日推定につながった。日本側が5月1日予定のD1更新を5月27日ごろまで遅らせたことが決定打となった。
  • 1943年4月18日の山本五十六機撃墜後も、日本海軍の合同調査は「乱数表変更直後で解読不可能、偶然の可能性大」と結論づけた。

資料で分かれる点

  • パープルの導入と最初の解読:導入はNSA記事・日本語版Wikipediaが1939年2月、NSA年表が1938年6月。最初の解読はNSA年表が1939年9月、NSA展示解説・米陸軍記事・Wikipediaが1940年8〜9月としています。
  • 海軍暗号書Dの使用開始と規模:NSA記事は1939年6月導入・約27,500項目・乱数表300頁、『戦史叢書 第43巻』は1940年12月1日使用開始・乱数表500頁としています(米側呼称JN-25は1939年の旧版からの通し呼称)。
  • 1942年5月の乱数表更新日:『戦史叢書 第43巻』は5月1日発令・実際は5月27日ごろ変更、Parkerは5月27日以降解読不能、英語版Wikipediaは5月28日としています。
  • ミッドウェーでの解読率:世界大百科事典は「作戦計画を完全に知っていた」、ニミッツの5月26日文書は傍受電文の約40%としています。

定期テストや入試では、教科書・資料集の書き方に合わせてください。

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参考資料

よくある質問

5件
太平洋戦争で日本の暗号は、いつ、どのように解読されましたか?
大きく2系統あります。外務省の機械暗号「パープル」(九七式欧文印字機)は、1940年に米陸軍の信号情報部(SIS)がフリードマンとローレットのチームで解読し、解読情報は「マジック」と呼ばれました。海軍の作戦暗号「海軍暗号書D」(米側呼称JN-25)は暗号書と乱数表を組み合わせたもので、1942年3月ごろから部分的に読まれ、同年6月のミッドウェー海戦と1943年4月の山本五十六機撃墜につながりました。
パープル暗号とは何ですか?
日本の外務省が1939年2月から主要な在外公館との通信に使った機械式暗号で、正式には暗号機B型、通称九七式欧文印字機です。米側がパープルと呼びました。文字を6文字と20文字の2組に分けて別々に換字する構造が弱点になり、同じ電文を旧式のレッド暗号でも送っていたことなどを手がかりに、米陸軍SISが1940年に解読しました。
ミッドウェー海戦で暗号解読はどう役立ったのですか?
ハワイの米海軍解読部門(Station Hypo)は、海軍暗号書Dの電文から日本軍が「AF」と呼ぶ地点を攻撃する計画を読み取り、AFがミッドウェー島だと判断しました。ワシントンが疑ったため、ミッドウェー基地に水不足を平文で打電させ、日本側が「AFは水不足」と報じる電文を傍受して確認したと伝えられています(防衛研究所『戦史叢書』も佐薙軍令部部員の日誌に「ミッドウェーは清水が欠乏している」旨の記述があることから関係電報の発信を認めています)。攻撃日も6月4日(現地時間)と推定され、ニミッツ提督は空母を待ち伏せの位置に配置しました。ただし当時読めていた電文は一部で、傍受した電文の約4割が解読できたとニミッツ自身が書いています。
山本五十六はなぜ撃墜されたのですか?
1943年4月13日、山本五十六連合艦隊司令長官の前線視察の日程が海軍暗号で打電され、米側がこれを解読しました。ニミッツ提督は4月17日に迎撃を承認し、4月18日、ガダルカナル島から発進したP-38戦闘機がブーゲンビル島上空で山本機を撃墜しました。防衛研究所『戦史叢書』によれば、直後の日本側の合同調査は4月1日に乱数表を更新したばかりであることなどから「事故は偶然に起こった可能性大」と結論づけ、暗号書の更新も行いませんでした。
エニグマと日本の暗号はどう違いますか?
ドイツのエニグマはローター(回転盤)3枚とプラグボードで文字を入れ替える機械暗号です。日本の外交暗号パープルも機械暗号ですが、ローターではなく電話交換機用のステッピングスイッチを使い、文字を6と20に分けて処理しました。日本海軍の暗号書Dは機械ではなく、語句を5桁の数字に置き換える暗号書に、乱数表の数字を桁上がりなしで足す二次暗号方式です。解読の手口も、エニグマが日替わりの鍵を探す作業だったのに対し、暗号書Dは乱数を剥がして暗号書の中身を少しずつ復元する作業でした。
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