鎌倉時代の日本史クイズ
1185年〜1333年 ・ 26問
源頼朝が鎌倉に幕府を開き、日本初の武家政権が成立した時代。頼朝の死後は北条氏が執権として実権を握り、承久の乱(1221年)で朝廷の巻き返しを退けて武家の優位を決定的にした。御恩と奉公の関係で結ばれた御家人制度が幕府の基盤だったが、元寇(1274年・1281年)が大きな転機となった。外敵を撃退したものの恩賞として与える新たな土地がなく、命がけで戦った御家人の不満が蓄積。さらに分割相続による所領の細分化が重なり、幕府の支持基盤は次第に弱体化した。最終的に後醍醐天皇の倒幕運動と足利尊氏の離反によって1333年に幕府は滅亡した。
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鎌倉時代クイズの例題5問
問題一覧の前半から後半まで、論点が重ならないように選んだ例題です。4つの選択肢から考えてから「答えと解説」を開いてください。
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例題1 鎌倉幕府の支配
鎌倉幕府の創設期——。頼朝様が幕府を開き、新しい役所ができた。「お前の役目は何だ?」と問われた。
- 俺は侍所の別当、和田義盛だ。御家人の統率と軍事警察は任せろ!
- 政所は裁判所だろう?三善康信殿にお任せするよ。
- 問注所は金勘定(財政)の場所だろ?大江広元殿が適任だ。
- 六波羅探題として京都を見張ってくるぜ。
答えと解説
正解:① 俺は侍所の別当、和田義盛だ。御家人の統率と軍事警察は任せろ!
その通りだ。侍所は御家人の統制と軍事・警察(サムライ)を担う幕府の要だ。武将である和田義盛が初代別当となり、大江広元らの文官が率いる政所(政務)・問注所(裁判)と共に統治の基盤を固めた。
覚え方鎌倉幕府は侍所・政所・問注所の三機関が中核で、承久の乱後に六波羅探題が加わった。
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例題2 禅宗の広まり
「最近、禅宗という新しい教えが流行っているらしいな」——鎌倉の武士として。
- 栄西殿の『興禅護国論』を読んだか?幕府も保護しているぞ。
- 道元殿は京都で建仁寺を開いて、お公家様に人気だ。
- 禅宗は危険思想だから、幕府は弾圧しているらしい。
- 夢窓疎石殿は禅僧じゃないらしいぞ。
答えと解説
正解:① 栄西殿の『興禅護国論』を読んだか?幕府も保護しているぞ。
その通りだ。栄西は『興禅護国論』を著して禅が国家の安泰に寄与すると説き、幕府の信頼を得た。旧仏教側からの批判もあったが、頼家や実朝、政子らの庇護を受けて鎌倉での地位を築いた。
覚え方禅宗は栄西(臨済宗)と道元(曹洞宗)が宋から伝え、鎌倉武士に広く受け入れられた。
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例題3 地頭の請負
「地頭が年貢を払わず、土地を横領しようとする」——荘園領主(公家)として、どう手を打つ?
- 「地頭請」の契約を結ぼう。一定額さえ納めてくれれば、現地の管理は任せる。
- 幕府に訴えて、地頭請を強制的にやめさせよう。
- 地頭を殺して土地を奪う「下地中分」をやるしかない。
- もう年貢は諦める。地頭に全部くれてやる。
答えと解説
正解:① 「地頭請」の契約を結ぼう。一定額さえ納めてくれれば、現地の管理は任せる。
賢明な判断だ。地頭の横暴を止められないなら、一定額の年貢納入を条件に現地管理を任せる「地頭請」が現実的な解だ。「名は実を取る」の妥協策と言える。
覚え方地頭の横領に対抗して、荘園領主は地頭請か下地中分という二つの解決策を選んだ。
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例題4 執権政治
鎌倉幕府の記録係として——。執権たちの業績を整理してくれ。
- 時政様は他氏を排斥して実権を握り、泰時様は評定衆と御成敗式目で合議制を確立された。
- 時宗様が六波羅探題を廃止して、鎮西探題を置かれたと記録にある。
- 泰時様は将軍の補佐に徹しただけで、特に制度は作っておりませんな。
- 時政様が合議制を始め、泰時様が他氏排斥で実権を固めたのです。
答えと解説
正解:① 時政様は他氏を排斥して実権を握り、泰時様は評定衆と御成敗式目で合議制を確立された。
北条時政(初代)は他氏排斥で実権を掌握し、北条泰時(3代)は評定衆の設置と御成敗式目の制定で合議・法制を確立した。この二段階で執権政治の仕組みが完成した。
覚え方執権政治の要は時政(初代)・泰時(評定衆・式目)・時宗(元寇対応)の三代。
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例題5 霜月騒動
1285年の鎌倉——。「安達泰盛一族が滅ぼされた!」一体何が起きた?
- 内管領の平頼綱が、ライバルの安達泰盛を討ったのだ。これで得宗専制が決定的になった。
- 時宗様が兄の時輔を殺したらしい。
- 和田義盛が挑発に乗って挙兵したらしい。
- 後醍醐天皇の倒幕計画がバレたらしい。
答えと解説
正解:① 内管領の平頼綱が、ライバルの安達泰盛を討ったのだ。これで得宗専制が決定的になった。
1285年の霜月騒動で、内管領(得宗被官の筆頭)の平頼綱が、有力御家人の安達泰盛を滅ぼした。これを機に御内人の権勢が強まり、得宗専制政治が強化される一方、御家人の幕府離れが進んだ。
覚え方霜月騒動(1285年)は平頼綱が安達泰盛を滅ぼした得宗専制強化の契機となった政変。
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鎌倉時代の重要な因果関係
鎌倉幕府の成立
承久の乱と武家の優位確立
元寇と御家人の困窮
御家人制度の崩壊
鎌倉幕府の滅亡
鎌倉時代の用語をくわしく読む
- 地頭請と守護請の違い|地頭請所・下地中分から室町の守護請まで比較 地頭請は鎌倉時代に地頭が、守護請は室町時代に守護が、荘園の年貢を一定額で請け負った仕組みです。地頭請所と下地中分の関係、半済と守護請の違い、荘園領主から見た意味を比較表とクイズで整理します。
- 御恩と奉公とは?新恩給与・本領安堵と京都大番役をわかりやすく 御恩と奉公とは、鎌倉幕府の将軍と御家人を結んだ主従関係です。戦功に応じて所領を与える新恩給与、先祖伝来の所領を保障する本領安堵、奉公としての軍役・京都大番役・鎌倉番役、元寇後の恩賞不足で関係が揺らいだ流れを整理します。
- 守護と地頭の違いとは?役割・設置年・大犯三カ条をわかりやすく 守護は国ごとに置かれて軍事・警察を担い、地頭は荘園・公領ごとに置かれて土地の管理や年貢の徴収、治安維持を担いました。1185年の設置の経緯、大犯三カ条、鎌倉幕府成立年の諸説、承久の乱後の新補地頭、室町時代の守護への変化を整理します。
問題一覧(26問)
よくある質問
4件
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問題は、その時代の人物になりきって4つの選択肢から判断する形式です。御成敗式目・承久の乱・元寇など中学の歴史で習う出来事も扱いますが、霜月騒動・得宗専制・地頭請のような高校日本史で学ぶ用語も出てきます。中学生は教科書で習った出来事の問題から、小学生は難しい言葉も多いので保護者と一緒に解説を読みながら挑戦するのがおすすめです。
一問一答で用語を覚えたいときは?
鎌倉時代の一問一答で、択一問題26問と用語クイズ38語を解説つきで確認できます。クイズで迷った用語の復習に使えます。